第24回演奏会
☆パレストリーナ モテット名曲集
ルネサンス後期の代表的作曲家パレストリーナ(1525頃~1594)は、本名をジョヴァンニ・ピエルルイジといい、その生地の村の名前から、通称パレストリーナと呼ばれています。特に宗教音楽に(105曲のミサ曲、250曲を超えるモテットなど)膨大な作品を残しており、その音楽はパレストリーナ様式と呼ばれ、バランスの取れた対位法、透明で清澄な美しさは、17世紀から20世紀初頭まで教会音楽の理想・模範とされていました。
「谷川慕いて」は1581年にヴェネツィアで出版された四声モテトゥス集第2巻に含まれるもので、詩編第41(42)編をテキストとして前後半2つの部分から構成されています。前半は柔らかな旋律線を描くゆったりした通模倣、後半はより密度の高い通模倣で書かれており、声部の溶け合い・調和は素晴らしく、我が国でも広く歌われている名曲です。
「バビロンの川のほとりに」も「谷川慕いて」と同じモテトゥス集に含まれるもので、詩編136(137)編によっています。やはり我が国でも広く愛唱されている名曲ですが、各主題をAB-BC-CD-DE-Eという風に2度提示しながらの通模倣様式で進んでいくところにも特徴があります。順次進行を主体とした柔らかい旋律の曲線が互いに混じり合うなか、美しいハーモニーは自然に流れ、詩の精神が深く、強く、また気高く表現されています。
(I)
☆混声合唱組曲 心象スケッチ、稲作挿話
髙田三郎は、戦後の日本の作曲家の第一世代といっても過言ではありません。1913年愛知県名古屋市に生まれ、1939年東京音楽学校(現東京藝術大学)の本科作曲部を卒業。国立音楽大学教授、同名誉教授を歴任し、86歳で亡くなる直前まで、作曲・指揮活動を続けました。管弦楽曲や室内楽曲とともに数々の声楽曲を作曲し、なかでも合唱曲の「水のいのち」が特に有名です。また、宮沢賢治の思想や文学から強い影響を受け、本日演奏する曲目以外にも賢治の詩の何編かを声楽曲に仕立てています。
宮沢賢治は30歳のとき、5年間勤務した花巻農学校教諭を辞して、自炊農耕の生活を始めます。そして農民を困窮から救うために東奔西走し、無償で肥料設計の相談にも応じるなど、農民の指導教育に献身します。しかし、賢治の心からなる努力も、風雨や冷害など自然に恵まれない東北農村の現実に打ちひしがれていきます。そして志半ばで病床に伏してしまうのです。
「心象スケッチ」は、そのころに書かれた詩集『春と修羅 第三集』からの3編と、『疾中』と題された病床の詩を第4曲として作曲されています。「稲作挿話」も同 第三集に収められている詩です。これらの詩からは、身近な農村と、そこに住む農民とを心から愛し、みずからをもその中に置いた賢治の日常があるがままに伝わってきます。
なお「稲作挿話」は、当初は「心象スケッチ」の一部でしたが、他の曲と並べた場合の重さ、長さ、性格等の点を考慮し、独立した曲と扱われるようになりました。
1.水汲み(作品第七一一番)
…水を汲んで砂へかけて… 眼は川辺や川面など色々なものを見るが、身体や手は同じ動作の繰り返し。そしてとうとう疲れ切った賢治は、敷物のような「茅萱(ちがや)」の芽の上に腰を下ろし、遠くの雲を眺めたのではないでしょうか。
2.森(作品第一〇三二番)
夕方の農村。放たれていた豚を小屋へ戻すいつもの光景。ほほえましく、目に浮かぶような描写です。
3.さっきは陽が(作品第一〇六五番)
今年もすっかりひび入ってしまった自分の手を見ながら、賢治は何を思ったのでしょうか。
4.風がおもてで呼んでいる
賢治にとって「風」は、自分を奮い立たせる象徴なのかもしれません。病からの復活の願いも感じられます。
稲作挿話(作品第一〇八二番)
少年への誠意と愛情に満ちた、賢治の農業指導ぶりが目に浮かびます。バスのパートソロが賢治の言葉を、少年の感情の流れ・うなずき・否定の身振りを上3声のハミングが表現します。そして曲の最後は、賢治の願いを高らかに歌い上げます。
(T)
☆雪の夜、3つの歌
クロード・ドビュッシー(1862~1918)は、伝統的な和声に支配された旧来の音楽から抜け出し、民族的な旋法や教会旋法に着目して印象主義と呼ばれる音楽語法を確立した作曲家です。管弦楽曲・器楽曲のほか歌曲を多く残していますが、中世フランスの抒情詩人シャルル・ドルレアン公爵による詩に1903年に付曲した「3つの歌」は、彼の残した唯一の無伴奏合唱曲にして、20世紀の合唱曲の中でも屈指の名曲とされています。1曲目は何かしら神話的で、また優雅で壊れやすいデリケートな空気を感じさせ、次いで2曲目はリズミックであるもののどこか気怠い雰囲気をアルト・ソロとともに歌い、最後の3曲目は身を切られるような厳しさを感じさせるものとなっています。そして、この曲に合唱作曲への意欲を掻き立てられたのが、さらに若い世代のフランスの作曲家、モーリス・ラヴェル(1875~1937)そしてフランシス・プーランク(1899~1963)でしょう。プーランクは「フランス6人組」のひとりで、その無伴奏合唱曲は刺激的な和声と溢れ出すようなメロディに富んだ名作揃いであり、日本でも愛唱されています。「雪の夜」は、ポール・エリュアール(1895~1952)の詩に付曲した4曲からなる小室内カンタータで、第二次大戦下の1944年に作曲されています。詩は、ドイツ軍占領から解放後間もない世相を映したものか、雪の夜の孤独と不安をつづり、音楽も総じて暗く内省的ですが、プーランク特有の突然で衝撃的な転調を随所にちりばめた佳曲です。本日は、プーランク・ドビュッシーの順で演奏いたします。
(I)
☆Faraway 無伴奏混声合唱のための
Farawayは、去る1月に開催された「ジョイントコンサート」で、山田先生が指揮された合同ステージでの演奏曲。今回はユンゲル単独での演奏に挑戦です。
総タイトルFarawayは、空間的な隔たりを意味する語。信長氏は、最初の作品から数えて9年を経て、一つの作品にまとめられた喜びがそこにあると述べています。また、木島氏の作品5聯を作曲するにあたって、日本語の詩に英語訳が光を射し込むバイリンガル四行詩という新しい世界を意識して、英語、日本語の言葉の響きと表現の多様性を活かすよう工夫したと述べています。
なお本日は、曲想を考慮し、第5曲のIf I hear a voiceをはじめに演奏し、第4曲のCrossingで締めくくります。
◆If I hear a voice (2006年作曲。原曲の第5曲)
“聞くこと”への思いは、“How long I love to listen”と呼応します。はるか彼方の山のふるえも、町の喧騒のなかでも、私向けの声を聞くなら、感応する磁力で答えずにはいられないと。
◆How long I love to listen (1997年作曲。原曲の第1曲)
曲集ができるきっかけとなった作品。懐かしい歌への憧れ、それが耳に蘇ることの喜びを純粋に歌っています。
◆Sky calls… (2005年作曲。原曲の第2曲)
中世イラン人の詩人ルーミーの四行詩に木島氏が呼応して書いた詩。静寂な世界で耳を傾けると、自然界に響く「空が呼び、地下水が応える」という清冽な響きが聞こえます。
◆Breathing (2005年作曲。原曲の第3曲)
「いぶき」という3聯からなる詩から第2聯を抜粋したもの。風そのものが漂うように曲は始まります。風は誰のものだろうか。でも本当は知っているよね。あちらからもこちらからも吹いてくる風。その行方を見つめて曲は終わります。
◆Crossing (2006年作曲。原曲の第4曲)
“Walking”、“Crossing”という言葉の持つ躍動感が楽想に反映されています。曲の中には、アクシデントを飛び越えて歩いていくことに喜びがある、というメッセージが込められています。
(K)
☆アメリカ大陸の響き
最終ステージは、アメリカ大陸のさまざまな歌を集めました。
◆ブエノスアイレス午前零時
A.ピアソラは、バンドネオン奏者、楽団リーダー、作曲家として活躍。彼はアルゼンチン・タンゴを音楽のジャンルとして確立しただけでなく、アカデミックな構成力と、タンゴが持つ情熱や激しさや大人の色気を融合させた、独自のスタイルを貫きました。この曲は、深夜のブエノスアイレスの情景を描いた傑作。ベースのビートが誰かの足音と夜の妖しさを演出し、やがて聞こえてくるのは・・・酒場の喧騒、踊る男女のステップと鼓動、サイレン、犬の遠吠え・・・あなたにしか聞こえない夜の音を想像してください。
◆眠れ 幼な児
A.ユパンキはアルゼンチン出身のフォルクローレ歌手、ギタリスト、作詞・作曲家。この曲は子守歌として中南米で広く親しまれています。ボンゴなどの打楽器を奏でるようなリズムと穏やかで優しいハーモニーはいかにも南米的ですが、明るい曲調の裏には、黒人の虐げられてきた歴史や過酷な労働に耐える母親の姿が隠されているのです。
◆金髪のジェニー
作曲者のS.フォスターは、その38年足らずの人生で190曲近い歌曲を残しました。この曲は1854年に出版された、彼の代表作にしてロマンティックな曲のひとつ。ジェニーは、彼の愛する妻ジェーンの愛称で、彼女がモデルと言われています。A.パーカー・R.ショウのアレンジは、美しい旋律の中にセンチメンタルな雰囲気を忍ばせています。
◆シェナンドー
この曲は、Sea chantyと呼ばれる、海の船乗りの歌、あるいは船に荷物を積み込んだり、錨を巻き上げるロクロを廻す時の歌と言われています。曲の中身は「シェナンドー酋長の娘へのラブソング説」「インディアンの悲嘆説」など諸説あるようです。女声と男声それぞれがメロディを歌った後、男声の厚みあるハーモニーの上を、女声が流れるように歌います。アレンジはシンプルな構成ながら、ミズーリ河の雄大な自然を思わせ、またノスタルジックな感情を引き出します。
(S)
☆クビツェク 3つのモテット
アウグスティン・クビツェクは、1918年にオーストリアのウィーンで生まれた作曲家・合唱指揮者。リンツのブルックナー音楽院とウィーン音楽アカデミーで学んだ後、ウィーン高等音楽院で音楽理論・作曲を教授するかたわら、合唱曲のほか室内楽・管弦楽曲などを作っています。
「3つのモテット」(作品22d)は1960年代前半に書かれ1966年に出版されたもので、クリスマスの礼拝式文から作曲者が選んだラテン語の歌詞によっており、今回採り上げる混声合唱版よりも女声合唱版の方が、よく演奏されているようです。
言葉の抑揚に従い、ときにグレゴリオ聖歌風の旋法的な動きを見せる旋律、ホモフォニックな部分と交代するポリフォニー的な旋律模倣の流れ等ともあいまって、3曲ともに特徴的なのは、その独自の和音感で、不協和音を効果的に使用しつつ、気分の沈潜あるいは劇的な盛り上がりを巧みに表現しています。
(TI)