第25回演奏会

第25回演奏会

☆ラインベルガーとレーガーの無伴奏合唱曲

スイス近くの小国リヒテンシュタインに生まれ、ドイツのミュンヘンで亡くなったラインベルガー(1839-1901)は、オルガン奏者として知られ、またミュンヘン音楽院で教鞭を取り、現在では20曲のオルガン・ソナタで有名です。一方、ドイツで生まれ、没したレーガー(1873-1916)は、ラインベルガーの後を継いでミュンヘン音楽院教授に就任したものの、すぐにライプツィヒ音楽院に移り、その後はイエナ等で作曲の日々を送りました。ともに数多くの作品を残し、それぞれがドイツ音楽史で作曲家・教育者として重要な人物であるにもかかわらず、作品が省みられることは少なかったのですが、近年、再評価が進み、出版や録音も増えています。

レーガーの「私たちの慕う聖母が」は、「8つの宗教歌」(作品138)の4曲目に収められた、クリスマスのためのモテット。民謡風の穏やかな旋律が和声的に2回歌われ、その後、突然リズムを変えて、主イエスへの呼びかけ以降は、キリスト受難への想いが熱く、また深く語られます。

続く3曲は、ラインベルガーによる混声のための作品。新約聖書ルカ伝のテキストによる「夕べの歌」は15歳で書いたもので、パレストリーナ風の均衡の取れた構成と、清澄で変化に富むブラームス風の和声は、作曲者の確かな腕前を感じさせます。「私たちの魂は」は、ワーグナーのパトロンであったバイエルン王ルートヴィヒ2世の宮廷のために書いたラテン語モテットで、旧約聖書詩篇124篇をテキストとしています。12月28日の「幼子殉教者」祝日の為に作られたもので、最初に出る3拍子のテーマが何度か繰り返し登場するロンドの形式によっています。 「主を讃えよ」は詩篇135篇に付曲したもので、ファンファーレのような声部同士の呼応からなる部分と、流れるような旋律がフーガ風に絡み合う部分が、それぞれ2度繰り返され、最後は高く強く締め括られます。

レーガーが1899年に作曲した「夕べの歌」は、ラインベルガーのものとは違って宗教的題材によるものではなく、画家で詩人のプリンケの詩に付曲したものです。「夕べの歌」という曲種は19世紀に流行したものですが、この詩は夕暮れの光や空気の鮮やかな変化、夜の帳が下りる際の静寂、帰郷に向け高揚する気分を、情感豊かに生き生きと歌い上げています。これに対してレーガーは、ゆっくりとしたテンポで非常に目のつんだ対位法的な動きの中で、ワーグナーのように半音階的な和声を極限まで推し進めている感があり、ハーモニーの色彩豊かな半面、演奏も難しいものとなっています。大きく繰り返される波のうちに曲は進んでいきますが、後半からは段階的に緊張を高め、圧倒的なクライマックスに到ります。5分足らずの比較的短い曲ながら、非常に内容の濃い、聴き応えのある作品であるといえます。

(TI)

☆混声合唱組曲 昇天 (中田 喜直)

中田喜直(なかだ・よしなお 1923-2000)は、「夏の思い出」「雪の降る街を」「ちいさい秋みつけた」「めだかの学校」など今でも歌い継がれている名曲のほか、数多くの童謡・歌曲・合唱曲を残した、20世紀を代表する日本人作曲家のひとりです。父は「早春賦」で知られる作曲家の中田章、兄は作曲家・ファゴット奏者の中田一次で、東京音楽学校(現、東京藝術大学)ピアノ科を1943年に卒業し、フェリス女学院大学教授のほか社団法人日本童謡協会会長などを務めました。

親しみやすい作風の童謡・歌曲とは異なって、合唱曲では難度の高い曲も作っており、本日演奏する混声合唱組曲「昇天」もそのひとつです。NHKからの委嘱により1964年に第19回芸術祭合唱部門参加作品として作られたもので、テキストは北川冬彦が1952年に世に出した詩集「馬と風景」から9篇が選ばれています。

詩人の北川は、この合唱組曲の出版に寄せて、「これら九つの詩作品は、アメリカの占領下にあった一日本人の心的状態の表白であるが、作者としては、そうした製作の契機を超えた作品となっている、と考えたい」と述べており、それぞれの詩には以下のように「小さな解説」を記しています。

Ⅰ.雪の日

深い雪に閉ざされた日の印象、

Ⅱ.馬と風景

当時、失われた日本の行衛(ゆくえ)について想いを馳せずにはいられなかったのである。

Ⅲ.蜘蛛の巣

アメリカの占領政策のメカニズムに対するレジスタンスである。

Ⅳ.泡

泡というものの本質を考えてみた作品。

Ⅴ.四月

ときにはこんな明るい風景もあったのである。

Ⅵ.五月

ユーモアを漂わそうとした。

Ⅶ.天空

自我のすべてを放擲したエタ・ダーム(Etat dâme)の表現。

Ⅷ.坐像

不動の、法悦境。

Ⅸ.昇天

昇天とはこのようなものとイメージした作で、キリストの昇天ではない。だが、東洋人によるキリスト昇天のイメージであってもさしつかえはない。

詩や曲が書かれた当時と、現在われわれが置かれている状況はもちろん異なりますが、鬱屈した空気や行き場のない閉塞感といった中から、何とか明るさや開放感を見出したいと願う気持ちは、不協和音を駆使した作曲とともに、半世紀を経て、今なお新鮮であり、現代人の心にも強く訴えるものがあるのではないでしょうか。

(TI)

☆「ソングブック」より (チルコット)

ボブ・チルコットは、1955年 英国のプリマス生まれ。ケンブリッジ・キングスカレッジ合唱団にて幼少の頃より合唱に親しみます。その後英国の有名な男声コーラスグループである「キングス・シンガーズ」に1985年から12年間在籍しました。在籍中より作曲・編曲活動を始め、彼の生み出すJazzyでセンスの良い数々の合唱曲は瞬く間に人気を博し、現在は大人気の合唱作曲家・合唱指揮者として世界中からオファーを受けています。昨年5月には、千葉県文化会館にて行われたコーラスワークショップにも特別講師として招かれました。本日は、彼の数ある作品の中から、作曲者自身の選曲による混声合唱曲9曲を収めた「Songbook」という曲集より5曲をお届けします。

◆Over the Wave

アメリカの先住民族(インディアン)の詩に作曲したものです。川を隔てた遠い小島に住む恋人に寄せる熱い思いがゆったりしたテンポのうちに切々と歌われます。

◆The Runner

19世紀アメリカの詩人、ウォルター・ホイットマンの詩に作曲したものです。

5拍子(3拍子+2拍子)によるランナーの息遣いと複リズムの伴奏パートの上に、近づき走り去ってゆく走者の姿を、主旋律パートが躍動感に満ちた旋律で歌い継ぎます。小さな蒸気機関車に引っ張られた列車が近づき、走り去ってゆくようにも聞こるのは、良く鍛えられたランナー(well trained runner)のtrain を、列車のtrainに掛けたチルコット氏の遊び心でしょうか。

◆O Danny boy

アイルランド民謡である「ロンドンデリーの歌」に、フレデリック・ウェザリが歌詞をつけたものです。自分の元を去ってしまった息子の事を思い続ける、親の切ない心境を歌った名曲です。本日は、チルコット氏編曲のピアノ伴奏を金益先生がさらにJazzyにアレンジしてくださいます。お楽しみに。

◆Composed upon Westminster Bridge, September 3, 1802

北西イングランドの湖水地方に生まれ、18世紀から19世紀にかけて活躍した英国のロマン派の詩人で、自然賛美の詩で有名なワーズワースの詩「ウェストミンスター橋の上にて」(フランスへ向かう途中、テムズ川に掛かる橋の上から見た朝日に輝くロンドン市外の光景が、詩人の予想に反して非常に美しかったことに感動したもの)に作曲したものです。中間部とエンディングの転調が鮮やかで感動的です。

◆Dance in the Street

19世紀フランスの象徴派詩人、ヴェルレーヌの詩に作曲したものです。街角での賑やかな踊りの情景が、アップテンポで弾けるような複リズムの伴奏パートによって表現される中、主旋律パートが恋の駆け引きの模様を歌い継ぎます。

(KT)

☆「日本抒情歌曲集」より (林 光)

「日本抒情歌曲集」は、1964年から1975年にかけて、東京混声合唱団の求めに応じて林光氏によって編曲されました。当団では、過去数回に亘り取り上げてきましたが、今回の選曲では、もうすぐ創立30周年を迎えるにあたり、団員によるアンケートで人気の高かったものを中心に選びました。年月を経ても変わらないもの、また年月を重ねたからこそ感じること・・・。本日のステージでどのような形で表れるか、歌う私たちも楽しみにしています。皆様にも楽しんでいただければ幸いです。

◆待ちぼうけ

詩は、中国の戦国時代末期の韓の思想家・韓非子が書いた「守株待兎(しゅしゅたいと)」という説話をもとに、北原白秋によって書かれたもの。元は政治のあり方を説いたお話です。おいしい話に乗らず、こつこつ働くことの大切さは、もちろん現代にも通じるでしょう。

◆荒城の月

“荒城”のモデルは、作詞者の故郷の仙台・青葉城、会津の鶴ヶ城、作曲者の郷里の大分県竹田・岡城址など諸説あります。また、名テノール・藤原義江が広く海外で歌い、日本の歌曲として世界に知らしめたという逸話もあります。

◆叱られて

大正9年に、雑誌「少女号」に発表された童謡。この詩にあるような情景を実体験としてお持ちの方はあまりいないと思いますが、それでもこの曲が私たちの心に残るのはなぜでしょうか。

◆早春賦

本格的な春の訪れを待ちわびる人々の気持ちがよく現れた名曲。編曲では、ピアノ・パートにモーツァルトのモティーフが使われるなど、遊び心が隠されています。金益先生による間奏部のアレンジにご期待下さい。

◆お菓子と娘

西條八十はハイカラな詩を多く書きましたが、この詩はパリの街並みが目に浮かびそうな洒落た雰囲気があります。お菓子に目がない娘のはやる気持ちが軽快な曲になって流れます。あなたの周りにも、こんな女の子がきっといる(!?) のではないでしょうか。

◆野の羊

作詞の大木惇夫は、合唱ファンならば「大地讃頌」を連想するかもしれませんが、この詩には、白秋門下でもあった彼ならではの味わい深い余韻があります。さびしげな野辺だが、そこに暗さはなく、のどかな春の一日の、繊細な色彩と詩情が歌われています。

(KS)